コラム
毎日書く人は、一日をどう稽古を組み立てているか
2026-07-25
「何枚書くか」より「どの順で書くか」
毎日どれくらい練習すればいいですか、とよく聞かれる。枚数の答えを待っている顔をされる。けれど私が毎日していることを正直に書くと、稽古の質を決めているのは枚数ではなく順番だ。同じ三十分でも、順番を間違えると線は最後まで固いままで終わる。逆に順番さえ合っていれば、十枚でも手は開く。
私の一日は、墨をするところから始まる。青墨を硯に当てて、三分ほど。この三分は書く時間ではなく、手を書く体に戻す時間だ。膠のわずかに甘い匂いが立ってくるころ、指先はもう筆の重さを思い出している。ここを液墨で飛ばしてしまうと、最初の一画がいつも硬い。私が毎日固形墨をするのは、上等な墨がいいからではなく、この三分が助走になるからだ。
温める、探す、決める
私は稽古を三つの段に分けている。温める、探す、決める。
温める段では、半紙(24.3×33.3cm)に横画と縦画だけを何本も引く。字は書かない。線が今日どう出るかを見るためだ。湿度の高い日は墨が紙に沈みやすく、にじみが広がる。梅雨どきの半紙は、同じ濃さでも夏晴れの日とは別の顔になる。それを最初の十本で確かめておかないと、本番で「なぜか今日はにじむ」と焦ることになる。温める段は、その日の紙と墨と自分の手の、三者の顔合わせだ。
探す段で、ようやく一字を書く。「無」でも自分の名前の一字でもいい。濃さを変えて十枚ほど。上手い下手を見るのではなく、今日の自分の線がどこにあるかを探す。速く引くと掠れる日もあれば、ゆっくりでも墨が乗り切らない日もある。その日の当たりを探り当てる時間だ。
決める段は、探す段でいちばん良かった一枚の感覚を、もう一度だけ狙って書く。ここで枚数は数えない。一枚でいい。一発で決めにいく緊張だけが、本番の集中を育てるからだ。何十枚も惰性で書き続けると、かえって線は擦り切れる。私自身、上達を焦っていた頃に半切を五十枚書いて、最後の一枚がいちばん死んでいたことがある。手が疲れたのではない。決める緊張を早々に手放してしまったのだ。
続く人は、上手に「やめる」
毎日続けられないという相談の多くは、始め方ではなくやめ方の問題だ。今日は乗らない、という日に無理やり本番まで進めて、納得のいかない一枚で終える。その後味が翌日の腰を重くする。
だから私は、乗らない日は温める段だけで筆を洗ってしまう。横画を十本引いて、今日はここまで、と決める。決めるのは字ではなく、やめる場所のほうだ。線を一本も残せなかった日でも、墨をして筆を持った事実は残る。その連続だけが、半年後の一画を変える。上達は積み上げた枚数ではなく、途切れなかった日数のほうに宿ると、私は思っている。
墨をする三分の意味は墨をするということに、力みをほどく座り方は正座と姿勢に詳しく書いた。一度離れてから戻る人は大人になって書を再び手にするときも合わせて読んでほしい。毎日書くとは、上手くなることではなく、この順番を今日もなぞることだ。
