夢香

コラム

正座しないと書は上達しないのか、という問いに

2026-07-17

正座は必須ではない。ただし正座が守るものは要る

稽古を始めたいという人から、いちばん多く受ける質問のひとつが「やっぱり正座じゃないと駄目ですか」だ。膝が悪い、長く座っていられない、椅子の生活に慣れて畳に座る機会がない——理由はさまざまで、たいてい少し申し訳なさそうに聞かれる。私の答えははっきりしている。正座は必須ではない。稽古を椅子で続けている大人はいくらでもいるし、私自身、半切(35×136cm)より小さい作品は文机ではなく机と椅子で書くことが多い。

ただし、と続ける。正座が守っているものは、椅子に座っても守らなければならない。正座は苦行のためにあるのではなく、体の軸をまっすぐ立て、丹田に重心を落とし、紙の全体を上から見下ろす——この三つを自然に成立させる姿勢だからだ。形だけ椅子に替えて、背中を丸め、紙に顔を近づけて書けば、線は必ずぶれる。問われているのは正座かどうかではなく、この軸を保てているかどうかのほうだ。

痺れをこらえて書いた線は、たいてい死んでいる

正座信仰の弊害も、私は稽古場で何度も見てきた。足が痺れているのに姿勢を崩すまいとこらえ、下半身の感覚が消えたまま筆を下ろす。そうして引いた横画は、本人が気づかないうちに終筆で微かに震えている。体のどこかが痛みに気を取られていると、その揺れは必ず線に出る。私はこれを、まだ書に向かえる状態ではないと判断する。

だから稽古では、痺れる前に一枚書ききるつもりで座るよう伝えている。二十分正座して耐えるより、五分で軸の通った一枚を書くほうがずっといい。長く座れないなら正座椅子を膝の下に挟めばいいし、それでも辛ければ机と椅子に替えていい。大切なのは、書いているあいだ体が痛みの側にいないことだ。私は膝を傷めていた時期、意地を張って正座を続けて線を固くした苦い記憶がある。姿勢は目的ではなく、線のための土台にすぎない。

大きな字は、そもそも座って書けない

もうひとつ、正座が絶対でない何よりの証拠は、大きな作品にある。半切を超える紙を正座で書くことはできない。全紙のような大きさになれば、私は立って、床に紙を広げ、腰から動いて書く。このとき体を支えているのは膝ではなく足の裏で、墨を含ませた大筆を振り下ろすと、跳ねた墨が手首まで飛ぶ。座って整えた軸を、今度は立ったまま保つ——正座で覚えた重心の感覚が、立ち書きでそのまま生きる。順序が逆ではない。座って軸を体に入れ、それを椅子でも立位でも応用する。だから私は、姿勢の話を「どう座るか」ではなく「どこに軸を置くか」として教えている。

膝が痛くて正座を諦めかけている人にこそ言いたい。あなたが失うのは正座という形式であって、書ではない。丹田に重心を落とし、吐く息とともに筆を下ろす感覚は、椅子でも立っても手に入る。呼吸と姿勢の整え方は書道の姿勢と呼吸に、体を使って書くという考え方は書と身体に詳しく書いた。久しぶりに筆を持つ人は大人の書の再開も合わせて読んでほしい。座り方に正解はない。線に軸が通っているか、それだけが答えだ。

執筆・監修

夢香 MUKYO

東京を拠点に活動する書家。古典に立脚した書から現代的な書まで手がけ、書の魅力を世界へ発信する。