コラム
年賀状を百枚書く——線が変わる場所
2026-10-17
冬の稽古場は冷える。窓の外が暗くなる前に、と思って始めた年賀状の筆書きが気づけば夜半まで続く。机の上に葉書が積み上がり、墨の匂いが部屋に満ちる頃、50枚目の線は1枚目と違うものになっている。
疲労が線を変える
書き始めの葉書は丁寧すぎる。一文字一文字に力が入り、結果として線がわずかに固い。20枚を過ぎる頃、手がほぐれてくる。小筆の持ち方が手に落ち着き、穂先の感触が意識の手前に戻り、線の重みが安定してくる。稽古でいう「乗ってきた」状態だ。30枚から50枚の間が、一番良い線になることが多い。
50枚を超えると、疲労が入り始める。指の第一関節が重くなり、小筆を持つ角度がわずかにずれ始める。線が乱れるのではなく、角が消えていく。意図したエッジが丸くなり、とろけるような柔らかさになる。私はこの変化を失敗とは思わない。意志の届かない場所の線が、そこにある。毎年、何枚目でどう変わるかを確認するように書いている。
小筆という別の道具
大字書の稽古では腕の重みを線に乗せるが基本になる。しかし葉書サイズの文字を書く小筆は、腕の重みではなく指の感度で制御する。腕を大きく動かす代わりに、穂先に集中する。大字書とほぼ逆の感覚だ。年単位で大字を書き続けた後、小筆に戻るたびに別の道具のように感じる。
使う小筆は3号前後の細い筆。穂先が短いほど反発が強く、長いほど柔らかく遊ぶ。年賀状の宛名書きには、穂先のある程度しっかりした筆を使う。柔らかすぎると葉書の表書きで線がつぶれる。
冬は空気が乾燥するので墨の濃度管理が難しい。硯に置いた墨が夏より速く固まる。少量ずつ筆に取り、こまめに補充する。葉書の紙は書道用紙より吸収が速く、稽古紙とは別の感覚が必要になる。
一枚に一人の顔
百枚を書くとき、一期一会という言葉が頭を過ぎる。印刷で送れば百人に同時に届く。手で書けば、一枚ごとに一人の顔が浮かぶ。書くリズムが変わる——この人には丁寧に、あの人には大きく、まだ会えていない人には少し長く。
百枚を書き終えると、疲労の中に何か清潔なものが残る。指の重みと、墨の匂いと、葉書の束。これを全部知っている人に届く手紙は、印刷された文字とは違う何かを運ぶ、と毎年感じる。それが何かを正確な言葉で言えるほど書き慣れていないが、それで良いとも思う。
