夢香

コラム

一期一会 — 一度きりを、どう一本の線にするか

2026-07-18

茶席から出た言葉

「一期一会(いちごいちえ)」。四字熟語のように広く使われるが、もとは茶の湯の言葉だ。千利休の教えを弟子の山上宗二が書き留めた『山上宗二記』に「一期に一度の会」とあり、この一度きりの会という思想を、幕末の大老・井伊直弼が『茶湯一会集』で「一期一会」と四文字に定めた。茶席は主客が同じ顔ぶれで同じ時を過ごすことは二度とない——だから今日のこの一服を生涯にただ一度の会として尽くす。それがこの言葉の本義である。

だから私は、一期一会を「素敵な出会いを大切に」という程度の意味では受け取らない。射程はもっと厳しい。同じ人と、同じ場所で、同じ時間を、二度は持てない。その二度とないことに、逃げずに向き合う覚悟の言葉だと思っている。

本紙は一発、という書の構え

書を続けていると、この言葉が茶席だけのものではないと分かってくる。稽古で何十枚も練習したあと、最後に本番の紙——本紙——に向かうとき、私はいつも「本紙は一発」と自分に言い聞かせる。墨を含ませた筆が和紙に触れた瞬間から、その一枚はもう書き直せない。半切1/2(35×68cm)の白い紙の上で、最初の一画が置かれたら、二画目はもうその一画を前提にするしかない。戻れないという点で、書は茶席とよく似ている。

一期一会という四文字を実際に書くとき、私がいちばん気をつけるのは、練習で「良い形」を覚えてしまった手を、本紙の前で一度空にすることだ。稽古で百回書いた「会」の払いを、そのまま再生しようとすると、線が過去の複製になる。今日の湿度、今日の墨の濃さ、今日の自分の呼吸——その一回にしかない条件を線に写せなければ、一期一会と書きながら言葉を裏切ることになる。だから本紙に向かう前、私は稽古の紙をすべて伏せて視界から消す。

戻れないから、線に嘘がつけない

一度、この四文字で苦い失敗をした。三文字目までが自分でも驚くほど良く運んで、最後の「会」を外したくない、という欲が出た。その途端、筆先に力が入り、終筆が固まった。戻れないと分かっているのに、戻れる前提で慎重になった——その矛盾が、そのまま線に出た。一期一会は、うまく書こうとした瞬間に逃げていく言葉なのだと、その一枚が教えてくれた。

墨をするあいだ、膠の少し重い匂いが部屋にこもり、正座の膝はやがて痺れる。その痺れも、梅雨明けの乾いた空気も、今日という一度にしかない。私はいまは、三文字目まで良く運んでも、四文字目を「これも二度とない一画」として、来たものをそのまま置く。うまくいかなかった紙も伏せずに乾かして残す。二度と戻らないと知っているからこそ、その一枚に嘘がつけない。それが、書における一期一会だ。

一回性を線にするという考え方は書と無常に、茶と書の交わりは書と茶道に詳しく書いた。2026年8月、麻布十番のパレットギャラリーで開く初個展「Zen 展」でも、禅語をもとにした書を並べる。会場に立つその数分もまた、来る人にとって一度きりの会であってほしいと思っている。会期は8月5日(水)から10日(月)まで、入場は無料。詳細は個展ページにて。

執筆・監修

夢香 MUKYO

東京を拠点に活動する書家。古典に立脚した書から現代的な書まで手がけ、書の魅力を世界へ発信する。