夢香

コラム

夢 — 目とまぶたと夜が重なった、うつろいの一字

2026-08-24

「夢」は夜、まぶたの奥で見るものの字

「夢」を、明るい希望の言葉としてだけ書くと、この字の底が抜ける。もとの「夢」は、夜に横たわった人が、まぶたの奥でぼんやり何かを見ている姿だった。古い字形では、目とまつげ・眉を大きく描き、そこに寝床と、夕方の「夕」が添えられている。はっきり見えないもの——輪郭のさだまらない像を、暗がりで見る。それが「夢」のはじまりだ。だから「夢」には、覚めれば消えるという性質が、字のなかにもとから折り込まれている。今わたしたちが「将来の夢」と言うときの、追いかける希いの意味は、そのあとに重なってきた層だ。消えるものと、追うもの。この二つがひとつの字に同居している。私は「夢」を書くとき、いつもこの二重を思う。掴んだ気になった次の瞬間に指のあいだから抜けていく、あの感触。書もまた、墨が乾けば筆の速さも迷いもそのまま定着してしまい、二度と同じ一枚は書けない。うつろうものを紙に留めようとする営みという点で、書と夢はよく似ている。

十三画をどう積むか(艹・罒・冖・夕)

「夢」は十三画。上から、草かんむりの「艹」、横向きの目「罒(よこめ)」、わかんむりの「冖」、そして最後に「夕」。四つの部品が縦に重なる、背の高い字だ。この積み木で崩れやすいのは、上が重く下が痩せて、字が前のめりに倒れること。私はまず「艹」の横画を、字幅の中でいちばん広く取る。ここが屋根になって、下の三段を受ける。次の「罒」は、四角のなかを二本の縦で三つに割るのだが、横に平たく——縦を詰めて書く。ここを正方形に近づけると、字が真ん中で膨れて息が詰まる。「冖」はごく短く、左右の垂れを長くしすぎない。そして最後の「夕」。この一字の重心は、じつはこの「夕」の払いが決める。私は「夕」の左払いを、上の三段の中心よりわずかに左へ、長めに抜く。こうすると、縦に高く積んだ字がすっと下で支えられ、倒れずに立つ。四段のうちどこを詰め、どこを開くか——一画ずつの筆順と字形は漢字辞典の「夢」に載せた。

消えるものを、消えるまま書く

この字でいちばんやってしまう失敗は、十三画すべてをきっちり均等に、力を込めて書き切ってしまうことだ。以前、個展に向けて「夢」の一字を大きく書こうと、半切1/2(35×68cm)に何枚も向かった夜がある。一枚目、二枚目は線が揃いすぎて、まるで設計図のようだった。整ってはいるのに、字のどこにも夜の暗がりがない。十数枚を反故にして気づいたのは、最後の「夕」の払いを、私が力を入れて「決めて」いたことだった。夢は、決まらないから夢なのに。そこから、上の三段はしっかり積み、最後の「夕」の払いだけは、力をふっと抜いて、末尾を紙にわずかに掠れさせて抜くようにした。線の終わりが少しかすれて薄れていく——その掠れが、覚めぎわに像がほどけていく感じに、はじめて重なった。

「夢」は、掴みきれるものを書く字ではなく、うつろうものをうつろうまま留める字だと私は思っている。だから上の目やまぶたはくっきりと、けれど最後の払いは掴まず、消え際を残す。この呼吸は、書そのものを一回性の営みとして見る書と無常の話にそのまま通う。線を積んで倒れずに立たせる土台の話は漢字を美しく書くにはに書いた。上を広く、目を平たく、最後の払いだけ力を抜く。それだけで、あなたの「夢」は設計図でなくなり、暗がりのなかにぼんやりと灯りはじめる。

執筆・監修

夢香 MUKYO

東京を拠点に活動する書家。古典に立脚した書から現代的な書まで手がけ、書の魅力を世界へ発信する。