夢香

コラム

光 — 書で『ひかり』という一字をどう描くか

2026-08-15

「光」は火を掲げて運ぶ人のかたち

「光」という字を、明るさを描いた記号だと思っている人は多い。だが古い字形をたどると、この字はもっと動きのあるものだった。甲骨文の「光」は、ひざまずいた人の頭上に火を戴いた形をしている。つまり最初から、光そのものではなく、灯りを掲げて運ぶ人の姿なのだ。下半分の「儿」は人の足であり、上の三画は頭上でゆれる炎にあたる。字の意味を「明るい」で止めず、「誰かが明かりを届けている」まで戻すと、書くときの気持ちが変わる。私はこの字を書くとき、いつも、暗がりの中を灯りを持って歩く一人の後ろ姿を思い浮かべている。

六画をどう組むか

「光」は六画。多くない画数だが、上下で性格の違う二つの部分をひとつにまとめる、意外に難しい字だ。上部は左右に開く三画、真ん中に横画が一本通り、下に人の足が二画で立つ。稽古で最初にほどけるのはたいてい上の三画で、点の向きがそろわないと、頭上の火が消えかけて見える。私は左の縦を先にまっすぐ下ろし、右の点を、左とは呼吸を変えて少し跳ねるように置く。左右が対称すぎると火が硬直するので、あえて左右で速さを変える。

真ん中の横画は、上の火と下の足を分ける地面の線だ。ここを太く強く引きたくなるが、太いと火と足が分断されて、字がふたつに割れる。私はこの横画を、上下のどの画よりも細く速く通す。最後の「儿」——左の払いと右の曲がりは、地面を蹴って前に出る二本の足だ。左をやや短く、右を長く払って、右足で一歩踏み出す形にすると、字全体が前へ進みだす。個々の点画の詳しい筆順は漢字辞典の「光」のページに載せた。

ひかりは黒ではなく白で立つ

書で光を描くとき、いちばんの落とし穴は「明るさ=濃さ」だと思い込むことだ。個展前、「光」を一字書で仕上げようとして、灯りを強く見せたい一心で線を太らせた日がある。濃く、太くするほど、紙は暗くなった。三十枚近く反故を積んで、ようやく順序が逆だと気づいた。ひかりは黒い線が発しているのではない。線と線のあいだ、字を囲む紙の白のほうが光っているのだ。だから私は書く前に、まず白の量を決める。上の火の左右にどれだけ余白を残すか、足のあいだにどれだけ抜きを作るか。白を先に取り、そこへ線を通すと、同じ墨の量でも字が明るくなる。

このとき効くのが、下半分をわざと開くことだ。「儿」の二本の足を狭く閉じると光が足元でせき止められる。左右にほどよく開いて、足のあいだの白を広く取ると、頭上の火から下へ、白が一本の道のように抜けていく。その白い道こそが、私がこの字で描きたい「ひかり」だ。紙の白が黒と同じだけの素材であることは余白と紙の白についてに、線・重心・余白という土台の話は漢字を美しく書くにはにも書いた。「光」は、その三つが一字に凝縮した、私にとって格好の稽古台である。まず地面の横画を細く、足のあいだを広く。それだけで、あなたの「光」は灯りはじめる。

執筆・監修

夢香 MUKYO

東京を拠点に活動する書家。古典に立脚した書から現代的な書まで手がけ、書の魅力を世界へ発信する。