コラム
永字八法とは — 「永」の一字に運筆の八つの型が宿る理由
2026-09-09
なぜ「永」一字なのか
永字八法とは、「永」という一字のなかに、書のあらゆる点画の基本が八つそろっている、という古くからの見方だ。点、横画、縦画、はね、右上がりの短い横、長い左払い、短い左払い、右払い——これだけの型が「永」を一度書けばひととおり手を通る。だから稽古の入り口で「永」を繰り返し書かされる。私も十歳で筆を持った最初の年、来る日も来る日も「永」を書いていた。当時は退屈だったけれど、いま思えば、あれは字を覚えていたのではなく、筆の上げ下げそのものを手に覚え込ませていた時間だった。
八つの画にはそれぞれ古い呼び名がある。側(そく)、勒(ろく)、努(ど)、趯(てき)、策(さく)、掠(りゃく)、啄(たく)、磔(たく)。字面は難しいが、覚える必要はない。大事なのは名前ではなく、一画ごとに筆の運びがまるで違うという事実のほうだ。
八つの画は、八つの別々の運筆
最初の点、側から順に手を追っていく。側は真下に打つのではなく、筆先をやや斜めに入れて止める——点は「打つ」より「置く」に近い。続く勒は横画。ただ横に引くのではなく、始筆でぐっと抑え、送り、終筆でもう一度抑えて止める。この二度の抑えが、横線に節をつくる。
三画目の努は縦画。上から下へまっすぐ、けれど力をゆるめずに引ききる。努が終わったところで筆先を左へ小さく蹴り上げるのが趯、いわゆる「はね」だ。ここは一度筆を止めて力をため、方向を変えてから抜く。止めずに勢いだけで跳ねると、はねが薄くとがって痩せる。次の策は右上がりの短い横で、軽く上げて抜く。掠は左下へ長く払う画、啄は同じ左払いでも短く鋭い。そして最後の磔が右下への払い——「永」でいちばん長く、いちばん難しい一画だ。
磔が書ければ「永」は書ける
私が「永」で最後まで苦労したのは、この右払いの磔だった。始めを細く入れ、中ほどで筆を寝かせて太らせ、終わりでもう一度力をためて、すっと抜く。太らせて、抜く——この二つの動作を一画のなかで続けてやる。半切1/2の稽古で、抜きを急いだせいで払いの先だけが不格好に割れ、その一枚を何度も反故にした覚えがある。磔がきれいに抜けた日は、不思議と他の七画もそろっている。八つのなかで最も多くの運筆を含む画だから、ここが決まるときは手全体の呼吸が整っているのだと思う。
だから私は、「永」を書くときいちばん最後の磔に一番長く息を残す。前の七画はそこへ向かう助走で、七つが乱れれば磔も乱れる。八法は八つの独立した技であると同時に、一字のなかで前の画が次の画を呼ぶ、ひと続きの運筆でもある。楷書で一画ごとに筆が紙を離れる回数を数えてみると、「永」はちょうど八回。八法とは、その八回の上げ下げに名前を与えたものだと言ってもいい。
八法は「永」だけの話ではない
八つの型を手が覚えると、他の字を書くときにも「これは掠だ」「ここは勒だ」と、見知った画として体が反応するようになる。どんな複雑な漢字も、点画に分ければ八法のどれかの組み合わせでできている。だから「永」の稽古は、一字を覚える稽古ではなく、これから書くすべての字の部品を先に手に入れておく稽古なのだ。
美しい字は器用さではなく、この一画ごとの運筆の確かさから生まれる。線の入りと抜き、その積み重ねが字の骨格をつくることは漢字を美しく書くときに見ている三つのことにも書いた。もし手本の「永」が手元にあるなら、字形を真似る前に、八つの画で筆がどこで止まりどこで抜けているか、その上げ下げのほうを追ってほしい。一本の線が担うものの重さは、そこにこそ表れる。
