夢香

コラム

日々是好日 — 「良い日」とは何かを書く

2026-07-13

雲門の一言

「日々是好日(にちにちこれこうじつ)」。中国・宋代の禅の記録『碧巌録』第六則に、雲門禅師の言葉として伝わる五文字である。

よく「毎日が良い日」という前向きな標語のように引かれる。けれど禅語としての射程は、そこではないと私は思っている。雨の日を晴れの日に読み替える楽観ではない。雨は雨のまま、思うようにいかない日はいかないまま、そのすべてを分け隔てなく「好日」として受け取る。好い日・悪い日という物差しを、一度手から置く。そういう言葉として読むと、この五文字は急に静かになる。

「良い一枚」を選ばない、という難しさ

この言葉を書くとき、いちばん警戒するのは、自分が「良い出来」を狙いにいってしまうことだ。

日々是好日と書きながら、書き手のほうが今日の一枚を選り好みしていたら、線が言葉を裏切る。だから私はこの五文字に関しては、いつもの「本紙は一発」という構えを少しゆるめる。何十枚書いても、そのどれもを失敗と呼ばない。うまくいかなかった紙も、床に伏せずに乾かして残す。選ばないという態度を、稽古の手続きそのものに入れておかないと、五文字が嘘になるからだ。

墨と和紙と筆。三千年以上続く書の伝統は、この三つだけで足りてきた。晴れの日の墨も雨の日の墨も、同じ硯で同じようにすればいい——そう思えるかどうかが、この禅語の分かれ目になる。

手は、同じ日を二度書けない

「日」という字が、五文字のうちに二回出てくる。日々是好日。この二つの「日」を、私はあえて似せない。

一つ目の日と二つ目の日で、墨の含みも、筆を下ろす角度も、わずかにずれる。梅雨のいまは湿度が高く、半切1/2(35×68cm)の和紙が水を吸う速度がふだんより鈍い。同じ濃さのつもりで置いた墨が、思ったより長く紙の上にとどまり、じわりとにじむ。以前ならその一枚を書き損じの山に入れていた。いまは、その日の湿り気がそのまま線に写ったのだと受け取る。二つの「日」が違ってしまうこと自体が、日々是好日なのだと気づいてから、手の力みが少し抜けた。

墨をするあいだ、膠の少し甘く重い匂いが部屋にこもる。正座の膝はやがて痺れる。その痺れも、香りも、今日という日のうちにしかない。同じ条件は明日には戻ってこない。だから私は、書く前に必ず一呼吸だけ長く置く。今日の紙と今日の墨に、まず挨拶をするための一呼吸だ。禅語を線にするというのは、意味を説明することではなく、その日を丸ごと引き受けることに近い。

展示空間の中の「日々是好日」

2026年8月、麻布十番のパレットギャラリーで開く初個展「Zen 展」では、禅語をもとにした書を並べる。

会場は、書、香、音の三つで構成した。歩く速度が自然と緩み、一枚の書の前でふと立ち止まる。その数分間が、良し悪しを数えることを一度やめる時間になればと思う。晴れて来た人も、雨に降られて来た人も、同じ一枚の前に立つ。その場所こそ、日々是好日という言葉のいちばん近くにある気がしている。

会期は8月5日(水)から10日(月)まで、入場は無料。詳細は個展ページにて。

執筆・監修

夢香 MUKYO

東京を拠点に活動する書家。古典に立脚した書から現代的な書まで手がけ、書の魅力を世界へ発信する。